遠のいた希望


強盗団が、シャトレの牢獄へ送られた。
彼らはノルマンディーからパリへ向かって、窃盗を繰り返していた。パリの街を荒らし始めた彼らは、国王に立場の近い貴族の館も襲っていた。
国王ルイ13世は、護衛隊だけでなく銃士隊にも捜査命令を出し、強盗団を追わせていた。
結果、銃士隊の活躍により、彼らは全て捕らえられた。罪も全て白状され、あとは裁判を待つのみであった。


「今日は、俺の圧勝だったな」
終業の時刻となり、アラミスはトランプを机に放り出した。勝ち誇った笑みをたたえ、腕を組む。
ポルトスも同じように、それを放り出す。
「いやあ、負けた負けた。今日は運が良かったな、アラミス」
「運も実力の内、という事だな」
アラミスは満足気に微笑み、トランプを集めだした。カードをきれいに整え、赤い箱へ閉まっていく。
少し離れた場所で本を読んでいたアトスは、それをゆっくりと閉じ、本棚へ戻そうと立ち上がった。
彼は、窓の外に目を留める。
「おや、降ってきたようだな」
ぽつり、ぽつりと、雨が降っている。それは、少しずつであるが、量が増えているように見えた。
「これは、早く帰らないとな」
カードの箱をしまい終えたアラミスは、既に帽子を手にしていた。
アトスは、いそいそと帰り支度をするアラミスを見る。アラミスはその視線に気付いているのかいないのか、ただ微笑んだまま、出口へ歩いていった。
「それじゃ、俺は失礼するよ」
「おう」
勝負に負けたポルトスは、陽気に右手を挙げる。それを見ながら、アラミスは扉を閉めた。
「俺たちも、早く帰った方が良いな」
「……そうだな」
アラミスが去った扉を見つめたまま、アトスは答えた。


(また、違っていた)
馬を繋いだ後、アラミスは自宅外の階段を上りかけたところで、佇んでいた。
量を増した雨が容赦なく彼女を打ち付けるが、彼女は意に介さない様子である。むしろ、雨に打たれることを、望んでいるかのようであった。
壁に優しく手を添える。彼女の視線の先は、足元の段であり、決して前を見ようとしない。
道には、誰もいない。雨が強く降ってきて、皆急いで家の中に入ったのか。アラミスはそう思っていたが、その誰もいないはずの道の向こうに、気配が現れた。
馬に乗ったそれは、ぐんぐんと近付いて来る。彼女の家を目指し、近付いて来る。
アラミスは力なく、来訪者の方へ顔を向けた。
「アラミス!?」
馬がいなないて、動きを止める。親友がずぶ濡れのまま、家の中へ入ろうとしない。アトスは、異様な光景に驚き、思わず声をあげた。
「どうしたのだ」
「来ないでくれ」
馬から下りようとした彼に、拒絶の声が降りる。
強さを含んだその言葉に、アトスは一瞬動きを止めた。しかし、すぐに馬を降り、階段の下へ駆け出した。
「アトス!」
懇願するように、アラミスは叫んだ。
今度は、アトスも完全に止まった。苦しみをいっぱいに含んだ瞳が、自分を睨む様に射抜いていたから。
アトスは、アラミスが泣いている様にも見えた。しかし、雨が彼女の顔にも打ち付けていたため、ハッキリとは分からなかった。まして、二人の間には距離がある状態だ。物理的にも、心においても。
アトスはゆっくりと言葉を紡いだ。
「何が、あったのだ。今日、シャトレから戻ってきて、それからずっと様子が変だった」
ポルトスとのゲームも、若干"無理して"楽しんでいるように、アトスには映っていた。しかし、根拠はない。確証は持てない。だから、それは口にしなかったのだが。
自分を心配し訪ねて来たアトスに、アラミスは素っ気無く返す。
「……何でもないよ」
「何でもなければ、こんなところでずっと立っている訳がなかろう!?」
賊は、護衛隊ではなく彼ら銃士隊によって捕らえられ、トレビルも喜んでいた。罪の全貌も明らかになった。今回の事件については、裁判で無事に解決するのを待つばかりであった。アトスは、そう思っていた。だから、だからこそ、アラミスの様子に違和感を覚えてしまう。
アラミスはというと、もうアトスを睨んではいない。申し訳なさが滲んだ瞳で、静かに話しかける。
「……ごめん、アトス。本当に大丈夫なんだ」
「しかし……」
「明日になったら、また、いつもの僕に戻れるから。頼む……今日だけは放っておいてくれ」
言い終えた後、突き放すように、アラミスは顔を背ける。そのまま、階段を上っていった。アトスは、そんな彼女の後ろ姿を、ただ心配そうに眺めている。
扉を開けようとしたアラミスは振り返り、アトスを見下ろした。優しく笑って、告げる。
「早く帰ったほうが良いぞ。俺のために、カゼなんてひかないでくれよ」
ひらひらと手を振って、アラミスは室内に入った。
しっかりと扉が閉まる音は、階段の下まで届いていた。アトスは腑に落ちないまま、雨に打たれながら自分を待つ馬のところへ向かった。


アラミスは、扉にもたれかかっていた。
(違っていた。また違っていた。ラクダでは、なかった)
帽子を脱ぐ。水滴が一気に床に落ちて、雨の染みが増えていく。彼女は、両手で帽子を持った。
(もう、何回目のラクダだったんだろう。何回目の……)
ぽたぽたと、水滴は床へ、止めどなく落ちる。それは、雨のしずくだけではなくて。
(今度こそはと、思ったのに。どうして)
(ラクダではなかった。関係なかった。フランソワとは、なにも!)
アラミスは、肩を震わせた。帽子がカタカタと揺れる。

彼女は体の力を抜き、ドアの前へ座りこんだ。
(一晩経ったら、一晩休んだら、また元のアラミスに戻る事が出来る。明日になったら大丈夫)
雨はまた、量を増やしたようであった。その音は、外を、屋根を、彼女の心を、打ち続けている。
(でも……)
アラミスはうなだれた。何かから守るように、自分の体を抱きしめる。雨がすっかりと滲みこんでいて、いっそう冷たさが増した。
それでもしっかりと抱きしめる。彼女の大嫌いな、雨音に包まれながら。
(私がラクダに追いつけるのは……一体、いつなのだろう?)
それから、明日アトスには、何と言おうか。
そんな事を考えながら、アラミスは小さく、自分を抱きしめていた。
立ち上がることも出来ず、ただ失望に打ちひしがれながら。優しく、冷たく、抱きしめ続けていた。


後書き
<ラクダっぽい強盗事件発生→ひっ捕らえた!→調べたら違ってました→がっかり>の図式、本物のラクダ・マンソンに追いつくまでに何回かあったんじゃないかなあ、という考えから書きました。ひたすらがっかりなアラミスを書きたかったのです。
37話の「何!?ラクダだって!?」というアラミスの台詞から、仇=ラクダの誰か、という事は知っていたようですよね。
あと、アラミスが雨音嫌いというのは個人的設定です。婚約者が殺されたのが雨の日だったから…という理由です。(その辺は別の話でも書いてます。)
ポーカーフェイスアラミスのちょっとした異変に、アトスは気付いていたんだろうなあと思って彼を登場させました。でも、追い返しちゃいました。ごめんねアトス。  (2010/07/24)