サニー・プレイス


小さく息を吐きながら、アラミスは腰を下ろした。やや緩慢な動作で、サーベルを外し、自身が座っている椅子にかけた。
「なんだ、疲れてるのか?」
にっこり笑うポルトスに、アラミスも同じように笑って返す。
「ああ……今日はあまり、絶好調とは言えないなあ」
それでも剣の稽古だったらできそうだけど、と付け足して、一つ、頬杖をついた。
「アラミス、もっと食えよ。やっぱりそこからだと思うぞ」
「ありがとう。でも、僕はどこかのグルメなお兄さんとは、体の構造が違うんだ」
小さく頬を膨らませながら肩を落とし、すごすごと自分から離れていく親友の姿を、彼女は楽しそうに眺めていた。
大柄な銃士は、両手を広げて窓を開け放つ。外の温かい空気が、季節の匂いを伴って、トレビル邸の室内に流れ込み、溢れていった。
「気付いたらこんなに、温かくなっていたんだな」
「ああ。外で食事でもできそうだ」
ゆるゆると、室内を流れていく季節の風。それは温かさと心地よさを、彼らに運んでいた。知らぬ間に訪れていた季節に、アラミスの表情は少女のように緩んでいた。もっとも、そんな彼女の笑みに、ポルトスは全く気付いていなかったが。
その時、扉が大きく開いた。すると、外からの温もりは室内で方向を変え、一斉にそこへ向かう。ゆるゆる進む風は、少しだけ速度を増して、アトスの頬を掠めていった。
「よう!」
「何をしているんだ、君たちは」
「そうだな、ひなたぼっこのようなものかな」
「そうか、俺も混ぜてもらおうか」
壁に帽子とサーベルをかけ、アトスはアラミスの向かいに座った。そして、手にしていた本を開く。
「また、今日も分厚いな」
「まだ読み途中でな」
それだけ返すと、アトスは本の世界に没頭し始めた。ページは、まだまだ前半、といったところか。邪魔にならないように注意しながら、アラミスはそっと本を覗きこむ。小さな挿し絵が描かれていたが、それが何であるかは彼女の知るところとならなかった。文章もこまごまとしており、よく目が痛くならないなと、アラミスは関心すら覚えた。
そして彼女は、ゆっくりと座り直す。
部屋の隅では、ポルトスが書き物を始めていた。アラミスの視線は、彼からゆっくりと逸れ、窓の外に移る。
(いつの間に、こんなに温かくなっていたんだろう)
彼女はふと、故郷の事を思い出していた。今頃、向こうはもっと温かくなっているのだろう。麓の雪は溶け、春の花が顔をいっぱいに見せている頃であろうと、故郷に思いを馳せる。
空の雲は、ぐんぐんと移動している。彼女は、それらが故郷の方へ進んでいるような気がしていた。もしくは、希望なのかもしれないが。
(フランソワ、もう、寒くありませんね)
故郷の大地、丘の下で眠る婚約者にも、思いを馳せていた。流れゆく雲に、寄り添うように吹く風に、気持ちを乗せるように。
流れる季節に、その身を預けるように。


「……アラミス?」
本の世界から戻ってきたアトスの視界に、窓際にもたれ掛かって瞳を閉じている親友の姿が飛び込んできた。
その姿をじっと見つめてから、もう一度その名を呼ぶ。返答はない。彼女の肩は、静かに、そして規則的に動いている。
アトスは、肩を竦めた。思わず、笑みがこぼれる。
そのまま再び本を開き、彼は読書の世界へ入り込んだ。目の前で眠る親友には察することの出来なかった、彼だけの世界へ。
外からやってくる優しい風は、まだ止まる様子を見せなかった。

「おーい、アラミス……あっ」
「えっ」
扉が開け放たれた直後、今度は青の瞳が開く。
その瞳はまず、目の前で揺れている本を捉えた。風を受け続けている本は、少しずつページを戻されている。それでも、彼女が眠る前に見かけた時より、かなり読み進んでいる様であった。
それから、首をもたげて、大柄な親友の方を向く。
「悪いな、眠っていたとは知らなかった」
ポルトスは、決まりが悪そうに笑った。アラミスは、椅子に座ったまま、大きく腕を伸ばした。
「気にするなよ。それでどうした?」
「いや、アトスはどこへ行ったかと思ってな」
「すまないな、僕も分からない。たった今、いないことに気付いたから」
言いながら、アラミスはいたずらっぽく笑ってみせた。ポルトスは、頭をかきながら、扉に手をかける。
「他を当たってみるよ。それにしてもアラミス、さっきより顔色が良いぞ。ゆっくり休んでると良いさ、おやすみ」
「おいおい、そんなに寝てられるかよ」
アラミスの笑い声を背に、ポルトスは部屋を出ていった。

(アトス、気付いてたよね。きっと見られたに違いない……)
アラミスは片手で頭をかかえ、体中がみるみる熱くなるのを感じていた。地方貴族の娘として育てられてきた彼女は、他人に寝姿を見られるなとどいう経験とは、無縁であった。ましてや、アトスは彼女の真正面にいたのだ。恥ずかしく、照れくさい気持ちに、全身が支配されていた。
しかし、決して不快さは感じていなかったのも、また事実であり。
(そう、油断してただけ。アトスは、親しい仲だから、良いの、別に!)
早くなる鼓動を押さえつけるように、彼女は思考を巡らせた。
ふと、例の本が目に留まる。彼に取り残されたその分厚い本は、風に遊ばれ続けており、パラパラと動いている。
(何の本なんだろう)
アラミスは椅子から立ち上がる。サーベルが小さく揺れた。
彼の読み進めたぺージは、やはり少しずつ戻っている。
アラミスは、今自分がいた場所の反対側、アトスが座っていた椅子の前へ回り込んだ。その手を本へ伸ばし、表紙を確認しようと、ページを全て閉じた。

優しい風は、未だ室内を巡っている。
それは彼女の髪を何度も撫でながら、季節の訪れを告げていた。


後書き
ひだまりの中でのんびり春、をテーマに書きました。
パノラマラウンジの小説たちの時系列ですと、『ラビリンス』の数日後ぐらいのつもりで書きました。アラミスが入隊して数ヶ月後ぐらいです。
ひなたぼっこという習慣(?)があったと信じて。 アトスとポルトスが大好きなアラミス、を書いたつもりです。仲良し三銃士。(2011/4/3)