藍色の君に手渡すものは

平静を装ったけれど、私の鼓動は正直に高まっていく。
彼の歩調に合わせて、いつものように歩く。そんな簡単な事さえ難しく、気を抜いたらよろけてしまいそうな感覚を覚えた。
いつも通り。いつも通りに。
彼の問いかけに、私は落ち着き払って答えた。すると。
「……分かった。アラミス、頑張れ」
私は、彼の方を見なかった。見なかったというよりも、見られなかったのかもしれない。
その時私は、空の様な広さと、海のような深さを、この人の中にはっきりと見てとれた。
ここまではっきり見てとれたのは、何年も付き合っていて、初めての事だった。


アラミスは、その時の事に思いを巡らせながら、帽子を手に取っていた。
深い海を思わせる藍色の帽子。そして、広い空を思わせる、水色の羽飾り。
「これがいい」
他のものもいくつか手に取ったが、彼女にはしっくりこなかった。一目ぼれに近い感覚で、その帽子を取った。
彼女は帽子を頭上に挙げて、口元に穏やかな笑みを作った。

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アトスは、テーブルの上に本を置いた。その本は、3センチほどの厚さで、少し大きめのサイズだ。
だいぶ前に購入して読み進めていたものだが、鉄仮面事件が発生してから、手もつけられていなかった。
「これは……どこまでだったか」
挟んでおいたはずのしおりが見当たらず、アトスは仕方なく、記憶の糸を辿りながらパラパラとページをめくり、注意深く文字を見つめる。
「ああ、この辺りだったか」
本の厚さが残り1センチ位になったところで、アトスは手を止めた。その本に関する彼の記憶はそこで止まっている。
しおりはそのページにはなく、アトスが視線を膝の上に移すと、そこにしおりはあった。
「なんだ、どこかから落ちたのか」
しおりをしっかりと挿んで、続きを読もうと椅子を出した時であった。
「誰だ?」
玄関のドアをノックする音が聞こえ、彼は視線をドアに向ける。
「僕だけど。アトス、いるのか?」
「ああ」
彼は本を閉じてから、玄関へ向かってドアを開けた。
そこには親友が、大きな包みを持って立っていた。外に馬が見当たらず、どうやらアラミスはここまで歩いてきたらしい。
「話したいことがあるんだけど、今から平気かな?」
「ああ。丁度、暇を持て余していたところだ」
彼は笑い、来客を部屋の中へ案内した。

「ワインで良いか?」
「ああ、すまないな」
アトスは、二つのグラスとワインの瓶を運んできた。ワインはまだ開けられていないものだ。
アラミスは帽子を取り、椅子にかけた。別の椅子を引っ張り出し、椅子に座る。
目の前では、アトスがグラスにワインを注いでいた。先ほどの本は、既に片付けられている。
2つのグラスをワインでいっぱいにしてから、アトスはアラミスの向かいに座った。
「今日は、これを君にあげようと思って」
アラミスは、大事そうに持ってきた包みを、アトスの方に差し出した。
「何だ、これは」
「贈り物だよ。受け取ってほしい」
「そうか、それはありがたいな」
アトスは包みを開けていく。その様子をアラミスは、思いつめた表情で見つめていた。
「帽子か」
包みが全て開かれ、贈り物の正体が明らかになった。藍色の帽子を、アトスは嬉しそうに手にしている。
「助かるな。丁度帽子を変えようかと考えていた。前のやつは……ほら」
アトスは、壁に掛けてある自分の帽子を指した。アラミスもその帽子を見る。
遠目では分かりにくいが所々が痛んでおり、羽の量も使い始めた当初から比べると減ってきていた。
「あの通り、ボロボロになってしまってな」
「そうか。それなら、良かった。前のと違う色なんだけど」
彼女は、少し安心した表情を見せる。
「あれも良いが、変える時は違う色にしようと思っていたのだ」
「どんな色に?」
「いや……考えてはいなかった。入った店で探そうと思っていたからな」
言い終えて、アトスはグラスに手をかけた。
「そうか」
アラミスは、そのアトスの手に視線を移しただけだった。
アトスはグラスをテーブルに置いてから、帽子を手にして立ちあがった。これまで使っていた帽子がかかっている壁に向かう。
そしてその隣に、今もらったばかりの新しい帽子をかけた。
「しかし、改まってどうしたんだ?」
振り返り、アラミスのいるテーブルに戻ってくる。アラミスは、意を決したように顔を上げた。
「……これまでのお礼にと思ってね」
「お礼?」
「アトス、僕は」
アトスが席に着く。アラミスは一呼吸おいて、言葉を続けた。
「銃士をやめようかと、思っている」
「何?」
「銃士となった目的が、果たされたんだ。今日は、話しに来た。本当の事を」
「本当の事、か」
アトスは、自身のグラスにワインを注いだ。再び、グラスはワインでいっぱいになっていく。
アラミスは、意を決し、続けた。
「ねえ、アトスは、僕が女を捨てて銃士になっていた事に、気が付いていた?」
「……ああ、そうだな…全く分からなかったと言ったら……ウソになる」
「……そっか。やっぱり」
アラミスはグラスに手を伸ばしかけたが、再び腕を引いた。数秒の沈黙が訪れる。
「そっか」
膝の上で両手を組み、もう一度、小さく繰り返した。

彼女はゆっくりと話し始めた。婚約者が殺された事、仇討ちの事、フィリップの事。
ジャンの事を話した時、彼は少々驚きつつ、「油断していたな」と笑って聞いていた。ただ、それ以外は、相槌を打つこともなく、彼は黙って聞いていた。
「……あの時、ミレディー達の味方になったのも、そのためだったんだ。もっと詳しく、調べたくなった。私怨だ。だけど、6年間探し求めていた敵が近くにいると分かって、調べずはいられなかった」
話し終え、アラミスは大きく息を吐き出した。その視線は、じっとテーブルのみに注がれている。
呆れただろうか、見損なっただろうか。
アラミスは思いを巡らせていたが、アトスの言葉でそれは遮られた。
「大したヤツだな、お前は」
ゆっくり顔を上げると、頬杖をついたアトスが、彼女の方を優しく見ていた。そして、彼は一切口を付けられていないグラスに目配せした。その目は、「飲んだらどうだ」と言っている。
アラミスは、いつの間にか肩に力が入っていたことに気が付いて、緊張を解いた。ドレスを纏い、女性として生きていたなら、小さいままだったその肩。女を捨てて生きてきたことで、沢山の傷を受け、小さいとはいえないものになっている。
グラスに手を伸ばし、ワインを喉へ流し込んだ。何度も飲んでいる味なのに、違う味にも思える。

彼女は半分ほど飲んでから、グラスをテーブルに置いた。
「……それで、これからどうするんだ?」
「これから……?」
「銃士をやめてから」
「……それは、考えられていない」
「考えられていない?」
彼女の言葉を繰り返し、アトスは首をかしげた。
「うん。これまでは、目的があったから、そのために一生懸命だった。でも、今は」
「……なあ、アラミス」
彼女の言葉を遮り、アトスが言葉をはさんだ。
「それでも、銃士隊にいるつもりは無いか?」
「え」
目を開いて、アラミスは驚く。
「陛下のため、フランスのために。これからも俺たちと一緒に、力を合わせていこうとは、思わないか?
ああ、いや。もちろん、これまで散々苦労してきたお前だ。無理にとは言わない」
「アトス……」
「お前の言う"目的"を探しながらでも、俺達と一緒に仕事は出来ないか?」
「……」
アラミスは、また視線を落とした。目を細め、穏やかな顔つきで一点を見つめている。
この言葉を待っていたのかもしれない。辞めようにも踏ん切りがつかず、かといって続けるための絶対的な理由も見当たらなかった。
でも、理由なんてどうでも良い、一緒に仕事をしていこうじゃないかと、そう言ってもらえた。全てを打ち明けたにも関わらず、この人は受け止めてくれた。
アラミスは、これまで通りやっていこうという彼の心遣いを、嬉しいと感じ、感謝していた。
ふと、壁にかかっている、先ほど渡した帽子に視線を移す。
海のように深い、藍色の帽子。青くて広い、彼の心。
やっぱりあれを選んで良かった。彼女はそんな事を思い、真っ直ぐにアトスの方を見る。彼女の心は、一つに決まっていた。
「ありがとう」
そう笑って、グラスに手を伸ばした。
アトスもまた、彼女と同じようにグラスに手を伸ばした。彼もまた、安心した様子であった。

互いのグラスが近づいて、小さく高い音を奏でた。


長い後書き
「劇場版でアトスの帽子が変わってたのは何故?」という私の疑問から書き出した話が、書いている内に「時が来たら話す」の打ち明け話になっていました。
数年前公開時のものに加筆修正してます。
アトスにだけプレゼントというのもアレなので、この後ポルトスにもきっと何かをあげたと思います。食べ物とか(笑)。そっちも機会があったら書いてみたいです。 H22.5.24 書いてみました。

ミレディー生存の打ち明け話のダルを、アラミスに変換したような内容になりました。アトスさんは、アラミスが女性だと薄々気付いてはいるが、言ってくるまで待っててくれたのかなと個人的には思います。
アトスは「自分はアラミス本人から聞いたけど、他の方々にも自分でなくアラミスから言えば良いよ」と思っている、のがマイ設定です。更にマイ設定では、カミングアウト後も、アトスはアラミスの正体を知らないという体になってます。(それをアラミスも承知)
しかしアトスさん、レディーに対して「これからも銃士を続けろ」って、ちょっとスパルタ?な発言ですね(笑)。  (2008/03/20)


帽子を新調できたよ!

◇素敵ないただきもの!◇

JahLive!のあやみさんから、可愛いイラストを頂戴しました。
アラミスのお陰で帽子を新調できたアトスです。二人ともすっごく可愛いですー!ワイン飲んだ後だけど良いよ、そのまま二人で出勤しちゃえ!
ああ、小説内でアトスに帽子を被らせなかった事が悔やまれます…!(意図的ではないです、ただ単に思いつかなかっただけで…。)
いや、でもこうしてあやみさんが被せて下さったから大丈夫!
キリっとした知恵者も、にっこりな男装の麗人も可愛くって癒されます。 あやみさん、どうもありがとうございました。(2010.11.14)

あやみさんのサイトはこちらから!
どれもこれも目の保養になるアニ三イラストが沢山・JahLive!