押し込める決意


桶が地面を打ち、乾いた音が鳴る。
アラミスはひと息つきながら、額の汗を拭った。陽は傾き、時刻は5時になろうとしている。しかし、この日は昼間のような暑さが、パリ中を包み込んでいた。
アラミスは井戸の桶を、その中へ落とした。水と桶がぶつかり、弾ける音が響いて、つるべに重みがかかる。
「どうだ、慣れてきたか?」
彼女の後ろから声がかかる。そこには、腕組みをしたアトスが立っていた。
「驚いた。いつからいたんだ?」
アラミスは、手に力をこめてつるべを引き上げた。水がたっぷり入った桶は、水滴を滴らせながら地上へ上がっていく。中身がこぼれぬよう、ゆっくりと。きしむ音が、井戸の中で響き渡っていた。
「今来たばかりさ。集中していたようだから、こっそり近付いてみて、背後をとってやったのさ」
やや不敵に、そしておどけながら、アトスは笑った。
桶を汲み上げたアラミスは、井戸の淵にそれを乗せた。先ほどから何度も水を運んでいるため、桶はじんわり濡れている。
剣を持たぬ状況とはいえ、うっかり背後を許してしまった。アラミスは内心で自分を戒めながら、アトスとまっすぐに向き合った。
「仕事の流れは少し掴めてきたかな。馬の世話は、隊長の馬以外ならね」
そう言いながらアラミスは微笑んだ。疲れの色が見えない笑顔であった。
彼女は桶に視線を戻し、それをしっかりと掴んだ。先に置いておいた桶の中へ水を流していく。
「あれは、なかなか荒馬だからな」
「初めの時は驚いたよ。最近、少し扱いに慣れてきたってところだ」
「そうか。俺は、慣れるまでもっと時間がかかってしまった。アラミスは、馬によく慣れているのか?」
「ああ」
アトスは、井戸の淵に、ゆるく腰をかけた。夕日が眩しく、帽子のつばを手前へ引っ張る。

「アラミス」
「ん?」
ひと呼吸おいてから、言葉を繋ぐ。
「聞きたいのだが、君は何故、銃士になりたいと思ったのだ?」
「え、言ってなかったか……?」
「いや、国王陛下のお役に立ちたいから、という理由は聞いたが」
「そうだけど……」
アラミスは、きょとん、といった表情で、アトスの話に耳を傾けている。
「他にも、理由があるのかと。そう、思ったのだ」
「どうして?」
「……さあ、どうしてかな。ただの、俺の勘だけどな」
アトスは片目を瞑って見せた。しかし、その眼は、アラミスを捕らえて話さない。
一瞬、アラミスの眼に動揺の色が映ったと、アトスはそう思った。しかし、それはすぐに強い光を取り戻す。確固たるものをもった、強い光に。
アトスは、その光をしっかり捉えるように、静かに彼女を見つめた。
アラミスは、ゆっくりと話し出す。
「さすが、アトスは鋭いね。
……亡くなった僕の父がね、生前、言っていたんだ。『国王陛下のお役にたちたい。剣をもって、陛下をお守りしたい』ってね。でも、流行り病で……」
「……そうか」
「だから、父の代わり……というのも変かもしれないけれど。父の分も、僕が頑張りたいと、そう思ったからさ」
言い終えた途端、アラミスの表情は柔らかくなる。少し気恥ずかしそうに笑いながら、早口になって続けた。
「こんな理由じゃ、おかしいかな。銃士を目指すのって」
「いや、俺はそうは思わん」
アトスは、言葉を捜すように少し俯いた。それから顔を挙げ、アラミスの肩に手を乗せる。
「……父君の分も、立派な銃士になれるよう、頑張るのだな。君ならすぐに、見習いから銃士になれるだろう」
アラミスは、強く頷いた。
「何かあったら、何でも頼ってくれ」
肩に置かれたその手に、アラミスは自分の手をそっと重ねた。
「ありがとう、アトス」
それでもやはり照れたように、彼女は答えた。乗せられた手から、とても力強いものが伝わってくると感じながら。


邪魔をして悪かったな、と言い残し、アトスは帰路についていった。
手を乗せた肩が、男子にしては小さすぎると思った事。そして、あの一瞬の動揺が、少し心に引っかかった。
しかし、彼の考えはすぐに、今宵自宅で味わう酒の事に切り変わっていった。


(私のこと、見透かされたかと、思った)
アラミスは、自身の胸に両手を当て、思いにふけっていた。自分が思っていたよりは、動悸は静かだ。彼が立ち去り、落ち着いてきたのか。
アトスが歩いていった門の方を見た。夕日は空に残っているが、眩しくはない。
(父上の話も……本当だけれど)
自分は、嘘は言っていない。言っていない。彼女は首を大きく振る。
(……こんな事位で、動揺してどうする。もっと、徹底的に隠さないと……これ位で揺らいでは、だめ)
アラミスは大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。それから屈んで、水の入った桶に手を伸ばす。
(アトスの心遣いは嬉しいけど……しっかり、しないと)

水が入り、先ほどと打って変わって、ずっしりと重くなった桶。
それを両手でしっかりと持つ。気持ちが、その力に変わったかのように。
そんな彼女の表情は、先ほどアトスと会っていた時と異なり、やや強張ったものとなっていた。



長い後書き
アラミスが入隊して1ヶ月後辺りの話でした。アラミスはまだ見習いです。ポルトスは多分仕事休みです(笑)。
私的にその頃のアラミスは、「男装し男社会へ飛び込んだことで、自分の中で緊張感が高い。が、それを絶対に表に出さず、完璧なポーカーフェイスで隠している。」という脳内設定になってます。自然体のようで実はあんまり自然体でもないというか。
で、アトスはアラミスに対し、なーんだか違和感を覚える事がたまにあるけど、女性というところまではまだ気付いていない……と、思いたい(笑)。
この話のアトスとアラミス、お互いを見つめまくってましたねえ…。

ルネの父ちゃんはトレビルと仲が良かったらしいので、脳内補完設定で「ルネ父は剣の腕も立ち銃士として活躍できる実力があった。その繋がりでトレビルとは友人であった。しかし、病で思うように体が動かなくなっていき……」という風になりました。
アラミスはアトスとポルトスに対して、最初からフランクに接してても良いんじゃーん?とか思ったので、この話ではラミさん、アトスさんに対して全然敬語使ってません(笑)。もしくは、最初は敬語だったけど、アトス&ポルトスが「別にタメ語でいいよ」と言ったとか、そんな感じで…。

ところで、あのトレビルの荒馬って、アラミス入隊当初からいたんでしょうか???(2010/07/02)



アトスには勝てない、となんとなく自覚してしまったアラミス。

◇素敵ないただきもの!◇

JahLive!のあやみさんから、とっても素敵なイラストを頂戴しました。
アラミスの背後を取るアトス、という冒頭のシーンが、あやみさんの美麗イラストで表現されています。
髪も短くて初々しいアラミスと、背後をとる優しいアトス先輩ですよー。やや幼い雰囲気のアラミスが可愛いですっ。
そして、こんなにも優しそうで格好良い先輩に背後取られたら、そりゃドキッとしちゃいますってば!あやみさん、ありがとうございました。(2010.11.14)

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