夜月


「お兄さん、どこから来たの?」
テーブルを前に腰を下ろすと、料亭の女が話しかけてきた。
"お兄さん"と言われた事に、内心安堵する。なるべく低く、自然に、喉に力を込める。彼女は、女の眼は見ずに答えた。
「ボルドーから」
別に、嘘を吐く必要は無かったのだが。それでも、もしも、家の者が追ってきていたら。捜索の手が迫っていたら。何かの拍子に、耳に入ってしまったら。
その心理が、咄嗟に偽りの答えを滑らせた。
「そうかい」
アラミスは、横目でこっそりと女の様子を伺う。どうやら、自分が女性である事に、女は気付いていないようだ。彼女を不審がる様子はみられない。
少し、鼓動が落ち着いた。
(たかが、これしきの事で)
内心の葛藤を押し殺すだけで精一杯だ。動揺してしまう自分が恨めしかった。奥歯を強く噛みしめる。
(これから、いくつもいくつも、嘘を重ねていかないとならないのに)
「……急ぐんだったら、もう、ここを発った方が良いよ」
女は突然、声をひそめて話す。アラミスは思考を止め、初めて女の顔を見る。よく見ると優しそうなところがある、初老の女だった。
それにしても、まだこの村に着いたばかりだ。元々長居をするつもりなどなかったが、早く発った方が良いというのは。アラミスは眉を潜める。
「どういう事ですか?」
「物盗りだよ。最近、この村の辺りをうろつく、厄介なゴロツキがいるのさ」
「物盗りですって!?」
思わず、高い声が出てしまう。しまったと、アラミスの顔はみるみる赤くなる。
女性の声が出てしまった事はもちろんだが、物盗り、という言葉に、全身が燃える思いであった。
料亭の女は、アラミスの声に少し驚いたようだが、「シッ」と人差し指を立ててから、続ける。
「だから、皆あまり外へ出なくなっちまったのさ。暴力は振るうし、金目のものは何でも奪っていくんだ。奴らの事、役人にも言ってるんだけどね……」
「ダメなんですか?」
「奴らの居場所が分からないし……何より証拠も掴めないって。
お兄さん、顔もキレイだし、身なりだって良いだろう。あいつ等に目を付けられない内に、早く行った方が良いよ」
「……おかみさん、そいつ等は、もしやラクダと名乗っていませんか?」
「ラクダ?いいや、特には」
「そうですか、ありがとう」
アラミスは微笑みながら、女から目を逸らした。


まっすぐ続く砂利道で、アラミスは馬に揺られていた。不自然な遅さで、進む。
雲がもっと少ないならば、星空を眺められただろう。しん、と静まり返った、黒い世界。夜はまだ長い。
(……来たか)
砂利の向こうに賊の気配を感じ、馬の歩みを更に遅める。
石を踏みしめ、ナイフを手にした男達がアラミスの前に姿を現す。その男達こそが料亭で聞いた厄介な物盗りである事を、既に彼女は悟っていた。その数は、一人、二人、三人……。他にも男が現れたことを、アラミスは背中で感じ取る。
馬の動きを完全に止め、アラミスは静かに地に立った。賊と対峙すると、白い頬が僅かにピクリと動いた。
「ほうー、キレイな姉ちゃんだな。
いやあ、失礼、兄さんだったか。あんまりキレイだからよ!」
下品な、馬鹿にした笑い声が複数響く。良いカモが来たと油断したゴロつき達は、ニヤニヤ笑ってアラミスに近づく。
「俺達の要件は分かってるだろ? 命が惜しければ、金目のものを全部置いていけ!」
頭と思しき大きな男は声を張り上げ、アラミスを脅しにかかる。他の賊は、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべ、彼女ににじり寄る。
汚い。身なりもだが、性根の汚い男ども。
(こんな、こういう男たちが……)
館を襲った。フランソワを殺した。王子をさらった。運命を捻じ曲げた。未来を奪った。幸せを壊した。希望をかき消した。夢を潰した。汚い。汚い。汚い。何もかも、汚い賊のせいで。何故、生きながらえている?汚い者が。温かいあの人を苦しめて、殺しておいて。自分から奪って。もう、強く抱きしめてはもらえない。優しい声で名前を呼んでくれる事もない。それなのに、汚らわしい自分たちはのうのうと。笑って。何故。どうして。何故。

全く動こうとしないカモ。もっと怖がらせてやろうか。下卑た笑みを浮かべながら声を張り上げた男は、アラミスに手を伸ばそうとした。
汚れた手が届く直前、瞬間。アラミスはその細い体を、右側に踏み出した。もちろん、剣も抜きながら。
一番右の男の胸を、斜め下へ斬りつける。その勢いのまま屈みこんで、次に手を伸ばしてきた男の足を斬る。
血しぶきがあがると同時に、その隣の男の脛も、利き手も斬りつけてやる。新たに血しぶきがあがり、悪臭がアラミスの鼻をついた。
痛みにのた打ち回る男達の苦悶の声が、あっと言う間に広がり、大きくなっていく。それらはすぐ近くにいるはずなのに、遠くから聞こえるような気がしていた。
脅されていた筈の少年の、まさかの反撃。電光石火、の言葉が相応しいその剣さばきに、汚い男どもは逆に強い恐怖を与えられたのだった。
「ヒッ」
少年の剣さばきにおののく賊。その様に全く構わず、大きな鼻を殴りつけ、右腕と腹部を斬りつける。高い音を立て、ナイフは砂利に刺さった。
なんとか反撃をと、動ける男達は一斉に少年に襲い掛かるが、冷静な彼はその動きすら読んでいたのか、全てかわされてしまう。逆に目にもとまらぬ速さで、腕を、足を、体を、次々と斬られていく。

(よくも、よくもこんな事を。こんな事を)
悪人と剣を交えるなど、アラミスにとっては初めての事であった。
心底汚らわしいと軽蔑した賊たちを、その手で斬りつけ、殴っていく。その感覚は、ただ、ただ不愉快であった。これまでの、修行での剣と、まるで違う。
(こんなに、気持ちが悪い事だなんて。ラクダは、どうしてこんな事が出来たの!?)
目の前の賊などよりも、もっと巨悪の賊に、胸中で問う。
疑問を、戸惑いをぶつける様に。最後に、自分を怒鳴りつけた男の腱を狙って、足を斬る。
「あっ……ぐあああーーー!!」
足を斬られた男は左手でそれを抑え、のた打ち回った。右手は既に使えなくされている。
彼を助けられる者など、もう一人もいない。賊たちは皆、自分の苦しさを少しでも逃すことに必死だ。
同じく痛みに苦しんでいる賊の頭と思しき男は、不意に喉元に違和感を感じた。それは直ぐに、鈍い、小さな痛みへと変わる。目を見開くと、先ほど馬鹿にしたカモの少年が、剣の先をそこにあてていた。
冷え切った目で男を見下している少年はやはり、女のような高い声で尋ねる。
「ラクダという盗賊を追っている。知っているか?」
「ラ、ラクダ!?」
痛みに喘ぎながら、男は薄ら笑いを浮かべた。
「へへ……あんな大物を追っているとはな……そりゃあアンタ、腕が立つわけだ。ヘッ、ラクダは、この辺にはいねえよ」
その言葉は偽りか、それとも。
アラミスは男から離れ、愛馬に近づく。男たちのうめき声を背に、アラミスは馬の背を撫でる。無事でよかったと、僅かに安堵の表情を見せた。

馬に乗ると、天からぼんやりとした光が現れた。見れば、雲が流れていく。
明かりが、砂利道を照らして広がっていく。そこに映し出されたものは、赤く染まった賊たちが痛みに苦しみ、立つ事すら出来ない無様な姿。
そして。
「……」
アラミスは、自分の服を見る。男たちの返り血を、ところどころに浴びていた事が、はっきりと見てとれた。悪臭が鼻をつく。
す、と右手を見る。手の甲に返り血がついているようであった。青の瞳を曇らせ、先ほどの不快な感覚を思う。
(たくさん嘘をついて、たくさん傷つけて……)
これから、名前も、経歴も、偽らねばならない。傷つけたくなくても、そうしなければならない事が、きっとたくさん待っている。
今までは、そんな必要などなかったのに。まっすぐに生きていれば、ただそれだけで良かったのに。許されていたのに。
ラクダが自分たちにもたらしたのは、そういう事だ。
(こうやって、私も、汚れていくのね)
清らかな世界で生きることなど、もう許されない。女を捨て、仇を討つとは、そういう事なのだ。

馬上から、もう一度、苦しみながら地面に伏している物盗り達を見やる。
もしかしたら、この男たちの他に仲間がいたかもしれないが、これで少しは、この村の人たちも―。
そうでも思わなければ、この突きつけられた現実に耐えられなかった。

雲の流れとは逆に、アラミスは進む。今度は速さを伴って。
ただひたすらに、パリへ向かって。



後書き
アラミス・悪者をボッコボコの巻でした。最初は「ルネ」表記で書いてました。(迷いました。)
またまたマイ設定炸裂です。ある程度強いウチのルネちゃん、初の実戦でしたが、そんじょそこらのゴロツキ共はやっつけられるだろう!という私の願望もあり、こうなりました。
(ほ、ほら、ダルタニャンだってパリに来ていきなり、あのロー様と戦い、大活躍だった…じゃないです…か……)
ルネちゃん、ラクダについて何か情報あれば聞いとこうという感じです。目的地はあくまでトレビル屋敷です。
最後に「ひたすらパリに向かった」とか書いてありますが、さすがに途中で服を変えたとか洗ったとかしたと思います。返り血びっちょり服でパリへ行っちゃあダメだー!(2012.1.21)

※2015.9.1 思うところあり、一部修正をしました。物語の展開そのものは修正前と変わっていません。